pinoco*の休憩所

Author:pinoco*

Permalink 13.筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる
詠み人 陽成院
訳:筑波山の峰から流れ落ちるみなの川。その水がたまって淵となってしまうかのように、私の恋心もつのっているのです。
解説:「みなの川」は、筑波山を水源とする川で、男女川や水無川とも書く。山頂ではわずかな水量であるが、徐々に水量が増え、急流になっていく様子と、恋心をうまく重ね合わせた作品となっている。筑波山は、春から秋に近隣から男女が集い、宴を催し、和歌を交換する会である「歌垣」で有名な場所。また、この歌は、詠み人があとの后となる光孝天皇の皇女に向けて詠んだ歌である。
Permalink 15.君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ
詠み人 光孝天皇
訳:あなたのために春の野原に出て若菜を摘み取っていると、私の着物の袖に、雪がしきりに降り続いているよ。
解説:早春の野原で、誰かのために若菜を摘んでいると、その袖に雪がちらちらと降りかかっているという光景を表現している。若菜の緑色と雪の色のコントラストを思い浮かべると、非常に味わい深い。当時、物を贈る際には、歌を添えるのが習わしであったとされる。若菜を贈るということは、相手の長寿を願う気持ちからの行為である。というのも、若菜とは、今で言う春の七草であり、当時から新春に食すと邪気を払うとされていたからである。「降りつつ」の「つつ」には、継続の意味に加え、余情・余韻のニュアンスも加わっていて、季節が冬から春へと変わることの実感や、贈る相手への心情が感じられる。
Permalink 9.花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせし間に
詠み人 小野小町
訳:桜の花の色つやはすっかりあせてしまったなぁ。私の容色も同じ。むなしく身をこの世において、春の長雨をながめて物思いにふけっているうちに。
解説:桜の色が長雨のために色あせてしまった光景を、自分が年をとっていく姿と重ね合わせて、「いたづらに」(=むなしく)思うという歌。桜は、ただでさえ満開の時期が短いのに、長雨で色あせてしまったことも、むなしく感じて当然である。「ふる」は、「(雨が)降る」と「(世に)経る」(=月日を過ごす)の掛詞。「ながめ」は、「長雨」と「眺め」(=ぼんやりと物思いにふける)の掛詞。また、歌を詠むことも「詠め(ながめ)」と言うため、それも掛かっている。詠み人は、六歌仙・三十六歌仙の一人である小野小町。
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乱筆3連発、すみませんです。

100もアップしたら、ちょっとは小マシなものができるでしょうか?

Permalink 12.天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ
僧正遍昭
訳:大空を吹く風よ、雲の中の天への通路を吹き閉ざしておくれ。天女たちの姿をもうしばらくとどめておきたいから。
解説:「をとめ」とは、「天つ乙女」の意味で、天女を指す。この歌の詞書には「五節の舞姫を見て詠める」とあり、舞姫を天女と見立てて詠まれたとされる。五節の舞は、新嘗祭に宮中で行われた少女たちの舞である。公卿や国司の家の娘が数人選ばれて舞姫となるため、それぞれの家々では競って華美をきわめるので、とても美しいものであった。また、五節の舞には、天武天皇が吉野へ行幸した際、天女が天上から降りてきて舞ったという伝説があり、当時はそれを起源としていた。宮中と天上の世界は、この世のものとは思えない華麗な世界であると表現されている。そういった情景を、少しでも長く見ていたいという思いが伝わってくる。詠み人である僧正遍昭は、六歌仙、三十六歌仙の一人。
※乱筆にて、失礼いたします※
Permalink 73.高砂の 尾の上の桜 咲きにけり 外山の霞 立たずもあらなむ
前中納言匡房
訳:高い山の峰に桜が咲いたなぁ。人里近い山の霞よ、どうか立ちこめないでおくれ。
解説:「高砂」とは高い山、「尾」とは峰、「外山」とは人里に近い山を指す。遠くに見える山々と霞がかっている近くの山が目の前に広がっており、大きな景観を捉えている。結句の「なむ」は他に対しての希望であり、「霞」を擬人化して、遠くの山の桜を見せてほしいとお願いしている。詠み人は大江匡房であるが、大江家は学問の家柄で、いわばインテリ政治家である。また、細かい技巧にとらわれず、自然なリズムで理知的な歌であることから、格調高い歌として評されている。
※乱筆にて、失礼いたします※
Permalink 33.ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ
紀友則
訳:日の光がのどかに射している春の日に、落ち着いた心がないので、桜の花が散っているのだろう。
解説:「ひさかたの」は、日や空・光などの天体に関する語にかかる枕詞。「しづ心」は、「静心」とも書く。この歌では、のどかな光と慌しく桜が散っていく風景を対照的に表現している。桜の花がはかなく散っていく事実を通して、自然の計り知れない力を感じることができる。結句の「らむ」を視界内の推量とすることによって、桜が心を持っていると擬人化し、慌しく散っている理由を桜の意思であるとしている。しかし、「らむ」を原因・理由の推量として訳すことも多く、その場合は「落ち着いた心もなく、どうして桜の花は散っていくのだろう」と訳され、桜に対して優しく問いかけるような雰囲気が感じられる。
※乱筆にて失礼いたします※
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小倉百人一首を…

tumblrの使い道を考えていたところ、最近興味がわいてきた小倉百人一首をまとめていこうかと思いつきました。さて、100首が揃うのは、いつのことでしょうか。

Permalink 61.いにしへの 奈良の都の 八重桜 今日九重に にほひぬるかな
伊勢大輔
訳:
ずっと昔、奈良の都で咲いていた八重桜が、今日この平安の都の宮中で、美しく咲いていることですよ。
解説:
八重桜とは、桜の中でも遅い時期に咲き、花びらが幾重にも重なっているもの。当時、八重桜は奈良でしか見ることができなかったと言われ、京都では珍しかった。作者が、奈良から宮中に贈られた八重桜を受け取る役目を紫式部に譲られ、その際に詠まれた歌であると言われている。
「いにしへ」とは、自分の知らないぐらい遥か過去を意味している。それほど昔に栄えた奈良から贈られた桜が今宮中で咲いていることから、場所を移動してきたことだけでなく、時間をも超えているような感覚を表している。
「にほひ」とは、香りのことではなく、花が美しく咲き誇っている様子を表す言葉である。その様子は、当時の一条天皇の御代の繁栄を讃えているようであることが、見事に詠まれている。
また、「奈良」と「今日(京)」、「八重」と「九重」(=宮中)という言葉の対照関係も詠みこまれており、一説には「奈良」が「七」の音に近いことから、「奈良」が「八重」「九重」と並んでいるとも言われている。
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